『今徒然』 ~住職のひとこと~

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第60回~サン・セットまで~

2026-01-23
注目
 人生の黄昏。バカラのタンブラーにちょっといいウィスキーを注いで、日没を待っている。ほんのわずかだが、街の喧喋けんそう が、時々夕暮れの風に乗って聴こえてくる。在所で幼い頃遊び相手だった友人が亡くなったそうで、昔のやんちゃな面影に追憶は尽きない。友人といっても、もう数十年会っていない。あの頃、まわリには同い歳の少年が数人いて、さながらスタンド・バイ・ミーの如くであった。走れば土埃が舞う道端には、清冽な水を湛える小川が流れていて、僕らは喉がくと、膝まづいて直接小川に口をつけて水を飲んだ。清らかで、健やかで、幸福な少年時代だった。

 何処に往ったか、再び逢えそうにない者の後ろ姿。最後に逢ったのはもう二十数年前になろうか。頭髪も髭も伸び放題で、手にした紙袋には作業用のヘルメットと軍手が見えた。彼は「こっちで仕事ができたから」と言った。大学時代、ポスト・モダンに傾倒して、フーコーやロラン・バルトななどを熱心に語った長身白皙はくせきの文学青年の面影はなかった。駅近の高層ビルにある中華料理店に入ると、店員が不審者でも見るような不躾ぶしつけな視線をくれたが、二十年もののかめ出し紹興酒と特辛の四川料理で盛リ上がった。その夜は近くのホテルに宿泊したが、以来、杳として彼の行方は知れない。

 青春のスカイラインに乗って、高校時代の親友と“彼女”との初デートのおとも(?)をしたのがきっかけで、何故か友人に勧められて、神奈川の短大に通っていた彼女と、新宿の喫茶店で会うことになった。友人は中学以来の付き合いで別の高校だったが、僕は高2の時彼女と同級生だった。学年ーの美人と噂された彼女とほとんど言葉を交わしたことはない。彼女は、思いがけず、文学の話をした。見掛けによらず、耽美的な谷崎潤一郎が好きと言った。『春琴抄』みたいに一途いちずにはなれないな、と言うと、笑ってこちらを見た。数ヶ月後、彼女は東京の女子寮を引き払った後だった。..

 まだ幼稚園に上がる前のことだから3~4歳の頃のことだったと思う。近所にユウちゃんというがき大将がいた。ユウちゃんは喧嘩が強く、面子メンコの名人だった。毎日のように、幼い僕はユウちゃんの後をついて回リ、ユウちゃんも歳下の僕を弟のように可愛がった。払暁ふつぎょう、まだ暗いうちから十人ほどの子どもたちが、稲刈リをした後の田に組まれた稲架はさの下に集まる。ユウちゃんの掛け声で、皆が稲架に昇リ始める。稲架の頂辺てっぺんで、東の空が茜色に輝くのを見て、皆は歓声をあげた。引っ越しの前日、ユウちゃんは、面子がつまったビニール袋を僕に押し付け、その場を走リ去った。

※追記;幸福は、タンブラーに注いだ一杯のウィスキーを呑み干すようなものだ。それが幸福と気がつかないうち、束の間にもう過ぎ去っている。
                           
令和8年1月23日

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