『今徒然』 ~住職のひとこと~
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第7回 ~六道輪廻~
2021-02-01
六道輪廻というと、たいていの人は、死後の世界のこと。または、生死の因果によって輪廻転生を繰り返す迷いの世界のように考えがちですが、実は、この六道(地獄・飢餓・畜生・修羅・人間・天上)は、日常生活の様々な場面で、我々が感じる歓び・怒り・苦しみ・貪り・諍い等々、移ろい変わり易い我々の意識の状態を示すものでもあります。一日の間に目覚めてから、眠るまで、或いは、眠っている間も、我々の心的状態は絶えず六趣の段階を出入りし、流転し続けます。
「世間は車の輪の如し、時の変ずること車の転じるが如し。人もまた車の輪の如し。或いは上り、或いは下ると云々」とは、恵心僧都源信の撰とされる『六道講式』の『天上』一節ですが、天上にあっても、いつ下に転げ落ちるか、不安でしょうがない。もし、地獄・飢餓・畜生の三悪道にでも落ちたら、どんな苦痛や悲惨な目に合うか。どんな恐怖を味わわねばならないか。人の生も死も、六道輪廻のシステムに組み込まれている限り、『安心』というものはあり得ないのです。
『六道講式』は、六道の有り様を描いた表白文から成っていますが、殊に『地獄道』の描写は凄まじく、私など、これを誦んでいると、余りにも真に迫った想像力に、頭がぐらぐらして来るほどです。恵心僧都は、有名な『往生要集』の中で地獄を八つのカテゴリーに分類し、その一つ一つについて詳細に解説しています。"地獄の第一人者"もしくはエキスパートとして、面目躍如たるものがありますが、その凄惨さに、誰もが辟易して目を覆いたくなるほどです。恵心僧都は、地獄を語るのになぜこれほど情熱を傾けたか。
『地獄』は『極楽』の謂わばアンチ・テーゼとして考えられがちですが、『地獄』と『極楽』があって、浄土門は安定した思想世界を保っています。恵心僧都は、やはり同じ書物の中で『極楽(浄土)』に往生する無量の歓びと楽しみを具に描いています。地獄の獄卒のようであった僧都の表情が、ここでは菩薩のように感じられます。恵心僧都源信が掲げた『厭離穢土 欣求浄土』(穢れた世界を厭い、浄土を歓び求める)の理想は、その後数多の念仏行者に、六道輪廻の鎖の輪を断ち切って、往生浄土を遂げる力と確信を与えたことは云うまでもありません。
春塵や さびしき人の 法螺話 / 丈生
令和3年2月