『今徒然』 ~住職のひとこと~
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第8回 ~『出家』か『家出』か~
2021-03-01
以前、或る檀家さんのお宅で、月忌回向の読経を終えて、お茶を啜りかけた時、その場に居合わせたご家族の一人に、不意に尋ねられました。「和尚さまは、何時、何処で、出家されようと決心されたのですか?」「…………」皆さんの注目を浴びた私は、答えに窮して図らずも「流れるままに…」と答えました。実は、それしか答えようがなかったのです。その場に、なにか期待外れのような、或いは、ほっとしたような空気が漂ったのを憶えています。
もともと、私の実家は田舎の古い寺でしたから、出家も何も、私は寺を継ぐのが嫌で、お寺と田舎からできるだけ懸け離れた所へ行きたい一心で、東京の私学に進学しました。だから、私の場合、『出家』というより『家出』といった方がいいでしょう。地方出身の少年にとって、東京は自由で楽しく、見るもの、会う人、何もかもが、珍しく、驚きと刺激に満ち溢れていました。私も"学究の徒"を志し、大学院に進学しましたが、光陰矢の如く、少しは学問の臭いを嗅いだのでしょうか。折からの学園紛争で、学問の府は荒れ果て、進学塾で教えたり、家庭教師などをして気儘な"天下の素浪人"よろしく無為な生活を送っていました。
はじめて名古屋の池下の光明寺の山門を潜ったのも、当時の私の生活ぶりを見かねた両親に伴われてのことでした。初めて会った智貫老師は小柄で優しい目をした尼さんで、「うちの寺は、こんな間口だから、葬式なんかほとんどないし、それほど忙しくないから」という老師の言葉を真に受けて、本でも読んでのんびり暮らすつもりで、妻と生まれたばかりの長男を伴って、東京から名古屋に来ました。
だが、聞くと見るとは大違い。やれ、法事だ葬式だと連日東奔西走、寺に戻れば、保育所では毎日のように"事件"があり、実務が山積。あまりの繁忙に、途中で一時体調を崩したこともありましたが、周囲の人々に支えられて、"和尚様" "先生"と呼ばれ、つい自分もその気になって、四十年近くの歳月が過ぎました。『家出』したつもりが、いつか『出家』の身の上になっていた。「流れるままに…」とはいえ、何とも洒落にもならない"因果"の巡り合わせと申しましょうか。
令和3年3月