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『今徒然』 ~住職のひとこと~

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第9回 ~パスカルの賭け~

2021-04-01
 信仰をもつことに、どんなメリットがあるのか、或いは、損や得はあるのかと問われれば、信仰はメリット/デメリットの彼方にある、損得勘定の埒外らちがいにあると答えたいところですが、実は、恐れ多くも、かつて信仰について損得勘定をした人物がいます。パスカルという名をご存知でしょうか。「人間は考えるあしである」と謂った17世紀半ばのフランスの思想家です。彼は思想家としてだけでなく、数学者・物理学者としてもひろく知られています。あらゆる学識と才能を兼ね備えた≪教養人オネットム≫と言ってもいいでしょう。

 パスカル自身はカトリックでも最も厳格な宗派の信者で、『決定的な回心』を体験したとされていますが、信仰について綿密な損得勘定をした経緯があります。パスカルは『確率』の問題として、神の存在をコイン・トスに例えて見せました。コインの表<神はいる>、裏<神はいない>とした場合、どちらに賭けるか。神の存在は理性では判断出来ないし、不確実な条件下にあるが、表/裏 二択の賭けを余儀なくされれば、いったいどっちが得でどっちが損なのか? 或いは、どちらの選択にリスクがあるのか、ないのか?
 
 例えば、裏<神はいない>に賭けたとしましょう。コイン・トスの結果が裏ならば、神はいないわけですから、特に大きな損失もないことになります。しかし、ここで表が出ると、神はいるから、これとリンクしている≪地獄≫堕ち、または≪煉獄れんごく≫に送られる大きなリスクを負うことになる。一方、表<神はいる>に賭けた場合、表が出れば、神の恩寵おんちょうよくし天国に召されるいう大きな利益を得ることが出来る。また、仮りに裏が出ても、利益や損失は被らない。つまり、コインの表<神はいる>に賭ける方に、パスカルは確率の上で究極の合理性を見たわけです。

 もっとも、これはキリス者の≪神≫の場合であって、この賭けの論理を直ちに仏教へ持ち込めるわけではありません。また、仏教の『地獄』や『極楽』にコイン・トスが通用するものか判りません。いずれにしても、信仰をもつことに、どんなメリットがあるかとか、損得勘定に煩わされる砌は『パスカルの賭け』を参考にしてみてはどうでしょうか。≪パンセ≫のなかで、パスカルは書いています。
「人間は一茎のあしにすぎない。自然のなかでもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である。」


  はなちって 水面に 鯉のあぎとかな / 丈生 
 
 令和3年4月
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