『今徒然』 ~住職のひとこと~
今徒然 記事 一覧
第11回 ~ミャンマーの祈り~
2021-06-01
竹山道雄という人が書いた『ビルマの竪琴』という物語を読んだのは、まだ小学生の頃だったでしょうか。当時、ミャンマーは、ビルマと呼ばれ、敬虔な仏教国で、至る所に荘厳な仏教遺跡や寺院があり、早朝には、多くの人々が跪いて托鉢僧を待ち受け、一人ひとりの僧に飲食を施し、施しては掌を合わせる。人々は仏とともに生活し、何より平和を愛する、豊かな自然にめぐまれた美しい国だと教わりました。『ビルマの竪琴』は、このビルマ=ミャンマーを舞台とした戦後の児童文学の傑作です。
南方に送られた日本兵の部隊は、隊長が音楽学校出身の音楽家で、辛い行軍にも、束の間の休憩にも、『埴生の宿』や『荒城の月』などを合唱して、楽しみと慰めにしていました。隊には、水島上等兵という竪琴の名手がおり、皆に親しまれていましたが、或る時、部隊から姿を消します。消息は杳として知れないまま、終戦となり、捕虜となった部隊の兵たちは、日本に帰還することになります。明日にも日本に帰るという日に、上座仏教の僧となった水島上等兵が姿を現します。皆、隔てられた柵を掴んで、口々に呼びかけます。「水島、一緒に日本に帰ろう」しかし、彼は黙って竪琴を奏でます。『仰げば尊し』を弾き、竪琴を置くと、皆に背を向けて森の中へ消えていきます。
通信兵としてビルマに従軍したことのある父は、ほとんど戦争について話したことはありませんでした。当時、小学校の教師をしていた父が、ふと戦争のことを口にしたことがあります。戦時中、南方に送られた日本兵は、敗走につぐ敗走で、ビルマの野山にも散乱した日本兵の死骸は夥しく、その酷たらしさは目を覆わんばかりだったそうです。父も車輛の下敷きになり、二昼夜もの間ひとり森の中に取り残され、死を覚悟しましたが、たまたま通り掛かった日本の部隊に救われ、九死に一生を得たそうです。「戦争は、殺し合いだから」と呟いた父の険しい表情が、今も忘れられません。
『ビルマの竪琴』は、水島上等兵が、ビルマの山河に散った同胞の屍や骸を弔うために、日本への郷愁を断ち、仏教の僧侶として現地に残る決意をする『鎮魂』の物語です。悲しい哉、今ミャンマーは、軍事クーデターで、民主化を進める要人が拘束され、これに抗議する市民・国民が無差別に銃撃され、犠牲者は八百名を越えています。欧米各国はこれを非難し、経済制裁にのり出していますが、日本政府は"重大な懸念"を表明しつつ、事態の推移を見守る態度です。一日もはやくミャンマーに民主化が実現し、平和な国に戻るよう、ミャンマーの市民・国民に寄り添い、祈らずにはいられません。
雨閑か 無縁法界の 濡れ地蔵 / 丈 生
令和3年6月


