『今徒然』 ~住職のひとこと~

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第13回 ~柳緑花紅~

2021-08-01
 茶道にたしなみのある方は、仲春の頃、茶席に掛けられる軸に『柳緑花紅』の字句を見かけたことがあるかもしれません。北宋時代の詩人蘇軾そしょくが詠んだ『柳緑花紅真面目』(柳は緑花は紅、真面目しんめんもく)の一節に因んでいます。蘇軾は蘇東坡そとばとも号し、宋代随一の文人、政治家として知られています。政治家としては、その率直な性格が災いして、生涯不遇でしたが、詩人としては、おおらかで透明感ある絶句や律詩また『赤壁賦』などの叙情豊かで幽邃ゆうすいな韻文の名篇を遺しています。
 
 さて、冒頭に掲げた『柳緑花紅』は、あるがままのものをあるがままに見る、そこに本来の面目(価値)がある、という意味の禅語でもあり、開悟の境地に通じるものとされます。天台宗で用いられる下炬文あこもんの末尾もこの文言で結ばれています。上から見ても下から見ても、縦横斜めから見ても揺るぎない迷いのない事象。春の情景を詠んだものでありながら、清涼な水を呑むような爽快感とともに潔さすら感じます。究極の客観性とでもいうのでしょうか。或いは、美意識の極致とでもいうのでしょうか。

 一方、政治家としての蘇軾は、極めて優れた官吏でしたが、政争の渦中にあっても、己の節を曲げず、朝政にも歯に衣を着せぬ抗言をはばからず、たびたび左遷や追放の憂き目に遭いました。時に、国政を誹謗ひぼうしたとして、前代未聞の筆禍ひっか事件を起こし、死罪の危機に直面したこともありました。いわゆる"忖度"などとは無縁の官僚だったようです。こうして波瀾と挫折を繰り返すなかで、蘇軾は、禅の修行者『蘇東坡居士』として、己の思索を深め、その感性と美意識を磨き、究めていったと思われます。

 昨今、国の"リーダー"の言動に責任ある明解なメッセージが見えず、コロナ禍と相俟って、人々の心に漠とした不安が拡がり、常に憤りに似た感情につきまとわれているようです。のみならず、科学的客観性をなおざりにする議論がまかり通って、不条理が世の常であるかのような風潮です。こういう時、願わくは、茶色滄海ちゃしょくそうかいの爽やかな一服を喫して、有象無象を払拭し、清閑な安らぎを感じたい。そして、『柳緑花紅真面目』の境に端座して、何一つ歪めずあるがままの姿を受け容れて、真の面目を施したいものです。


   幽明の 境ただよへり 夏の蝶   /  丈生
   
 令和3年8月
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