『今徒然』 ~住職のひとこと~

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第14回 ~不条理ということ~

2021-09-01
 辞書で『不条理』という語を牽くと、「道理にあわないこと、筋道が通らないこと──」とあります。特に、哲学的に定義された術語というわけではありません。むしろ明晰に見ることができないことへの情緒的、感性的違和感とでも言いましょうか。この『不条理』の概念に、思想的意義を与え、特に実存的動機付けを試みたのが、戦中、戦後にかけて、フランス文壇で注目されたアルベール・カミュという作家です。彼は、1957年史上2番目の若さでノーベル文学賞を受賞しています。
 
 とはいえ、彼の名を知る人は今はほとんどいません。どうでもいいことですが、日本で活動するセィン・カミュというタレントは、彼の孫にあたります。どちらかというと、ハンフリー・ボガードのような厳つい風貌の"祖父"とは、似ても似つかぬキャラクターです。カミュは仏領アルジェリアの出身ですが、当時アルジェリアはフランスの植民地で、激しい独立運動が繰り広げられたところです。カミュは人民戦線寄りの新聞で、植民地支配による不正や冤罪を暴き、しばしば母国フランスを糾弾しました。彼のノーベル賞受賞に、フランス政府が冷淡であった理由です。

 代表作『異邦人』は、冒頭次のような一文で始まります。「今日、ママンが死んだ。或いは、昨日か、僕は知らない」 母の葬儀から始まり、主人公ムルソオの「どうでもいい」日常が、アルジェの灼けつく太陽と乾いた風土を背景に淡々と進捗します。そして、クライマックスは、突然訪れます。灼熱の海岸、うごめくアラブ人の影、煌めくナイフ、沸き立つ陽炎、真昼の沈黙を破る銃声。が、これらのイメージに惑わされてはならない。不条理は<他者>の存在、或いは<他者>の死に触れた時から始まる。一筋縄ではいかない小説『異邦人』の仕掛けです。

 『不条理』について、本格的論証を加えたカミュは、内的動機が欠如した災禍やパンデミック、延いては、暴力やテロや差別など、個人の人格を踏みにじり、人間的営みの障碍となるすべてを不条理と総称します。そして、不条理にあらがい生きる人間の姿を、<シーシュボスの徒労>にたとえます。神々を欺き地獄に堕ちたシーシュボスに課された罰は、巨岩を山頂まで転がし運び上げるというものでした。しかし、一端山頂に達すると岩はまた山の麓に転がり落ちていく。シーシュボスはまた同じ無益な労働を繰り返さねばならない。つまり、この世界が不条理の悪無限的循環ループであるなら、我々も、シーシュボスと同様の境涯にあるということでしょうか。
   
 令和3年9月
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