『今徒然』 ~住職のひとこと~

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第17回 ~『念彼観音力』~

2021-12-01
 古来より、庶民の身近で様々な現世利益の祈りや願いに応え、信仰を集めるいろいろな観音様は、総じて「観世音菩薩」と称されます。因みに、『般若心経』では「観自在菩薩」とも別称されます。三十三身の姿に変化へんげし、時には仏の化身となり、或いは神の垂迹すいじゃくとして現れ、大慈大悲を以て、人々の苦を抜き楽を与え給う観世音菩薩は、いつの時代にも、人々の日常に寄り添い、民衆の心の拠り所となって来ました。そして、決して一様ではない人々の苦悩や哀しみ、願望の種々様々な形に応じて、三十三身もの変化観音が創り出されていったと考えられます。

 聖観音は、一面二臂いちめんにひ(顔が一つで腕が二つ)の人間のお姿で、頭に宝冠を戴き、瓔珞ようらくと呼ばれるネックレスやブレスレットをつけ、蓮華座の上に優雅に佇まれています。左手に開きかけの蓮の花を持ち、右手はさりげなく施無畏印せむいいんの相をしています。拙寺の聖観音の掛け軸は、山本兆揚師作で、例年盂蘭盆の頃、書院座敷の床の間を飾りますが、柔和で清浄な佇まいは、馥郁ふくいくたる蓮華の香を運ぶかのようです。聖観音の外に、千手千眼、馬頭、十一面、不空羂索ふくうけんじゃく、如意輪、准提等、人間の様々な願望、時には欲望を具現化して、変身(進化)した超人的な異形相の観音もあります。

 法華経巻八『普門品第廿五』は、観音菩薩の威神力と効験をつぶさに説いています。釈尊と偏袒右肩へんだんうけんをして教えを乞う無尽意菩薩との対話形式で進められるこの『観音経』は、本来の法華経とは些か趣を異にします。『世尊偈』で、幾度も繰り返される「念彼観音力ねんぴかんのんりき」(彼の観音の力を念じれば)、火・水・風・刀杖・羅刹・枷鎖・怨賊とうじょう・らせつ・かさ・おんぞくなど七難から逃れ、またとん(むさぼり)、じん(いかり)、(おろかさ)の三毒を制することが出来る。然る後、「無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間」(無垢清浄の光あり 慧日は諸々の闇を破り 能く災いの風と火を伏して 普く明らかに世間を照らさん)に到り、壮大な静謐と安寧の結末を迎えます。 

 さて、一般には『擬経ぎきょう』(仏説ではない経)とされていますが、観音様のご加護と切っても切れぬ『延命十句観音経えんめいじっくんかんのんぎょう』という短いお経があります。「観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法増縁 常楽我浄 朝念観世音 暮念観世音 念々従心起 念々不離心」(観世音よ 仏に帰依奉る 仏と因あらん 仏と縁あらん 仏法僧の縁あらん 常楽我浄なるものよ あしたに観世音を念じ ゆうべに観世音を念じ、念々心より起り 念々心から離れず)これを唱えるを朝夕のルーティンとし、日常ありがちな貪・瞋・癡とん・じん・ちの場面で、これを暗唱すれば、内面の動揺が鎮り、心を平静に整える効験もあるようです。つまり、己を見失わないことも観音様のご利益の一つということです。


小春日の 真ん中にゐる ねむり猫  /  丈生 


 
 令和3年12月
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