『今徒然』 ~住職のひとこと~
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第30回 ~真言・陀羅尼~
2023-01-01
或る時代小説で、忍びの者が、大事をなす前に摩利支天の真言「オン・マリシエイ・ソワカ」と唱える場面があります。摩利支天は、陽炎を神格化したとされ、これを念ずれば、他人はその人を見ず、知らず、害さず、縛さず、罰さずといわれます。武門の守護神として、護身と武運をもたらしたとされています。フィクションとしての時代小説とはいえ、もったいぶったパフォーマンスをしているわけではありません。真言を唱えることで、胸中に走る動揺を去り、精神統一を図っている様子が窺えます。それだけ緊迫して追いつめられた危機的状況に直面しているということです。
この真言・陀羅尼もしくは、マントラと呼ばれる呪文が、いかなる歴史的経路を辿り、またいかなる宗教や民俗信仰が混淆して、今日まで伝えられたかは、文字通り"謎"ですが、これがまたどんな経緯で大乗仏教に採り入れられたかも、必ずしも詳らかではありません。バラモン教やヒンズー教の呪術がいわゆる初期密教と結びつき、大乗仏教の正覚に到る思念を凝らすために精神統一を図る手段として唱えられるようになったという説もあります。日本仏教では、浄土真宗以外の宗派で、日常読誦のお経の一部として様々な真言・陀羅尼が唱えられます。
例えば、天台宗の『光明供』の法式で、密教作法の中核に据えられるものに『光明真言』があります。正式名称は『不空大潅頂光真言』といい、五智如来の名称が詠み込まれています。「オーン 不空なるものよ、毘盧遮那よ、大印あるものよ、摩尼と蓮華よ、光明を放ちたまえ、フーン」 五智如来とは、不空成就如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来を指します。天台宗では、これを「おん。あもきゃ。びるしゃな。まかもだら。まにはんどま。じんばら。はらばりたやうむ。」と音読して唱えます。真言宗でも、光明真言は日常読誦として必ず唱えられます。
妙法蓮華経巻第八『陀羅尼品第廿六』は、到る所に陀羅尼が仕掛けられた経文です。陀羅尼は、サンスクリット語の音をそのまま漢音に写したものですから、読んでも意味不明です。以下の羅列、阿爾、曼爾、摩爾、摩摩爾、旨隷、遮梨第、余羊、余覆多韋、羶帝、目帝、目多覆、沙覆、阿韋沙覆、桑覆、 …即ち、不可思議、思惟、意念、無為、永久、修行、寂然、漂泊、玄黙,、解脱、済度、平等、無邪、安和というように心象風景が現れては消え、一語ずつ意識に刻まれては暗転する。森羅万象を映して明滅し続けるかのようです。秘密真言と謂われる所以でしょうか。
亡き人の 名を呼んでみる 年の暮れ / 丈 生
令和5年 1月1日