『今徒然』 ~住職のひとこと~
今徒然 記事 一覧
第49回 ~ミラボー橋~
2024-08-01
パリ・オリンピックの開会式場に予定されているセーヌ河畔は、ただならぬ喧騒ときな臭いテロの憶測さえ入り交じって、よくも悪くも盛り上がっているが、世紀のイベントを満面の笑みと歓声で讃える者もいれば、無関心な視線を送る者、背を向けて立ち去る者、パリ人の気質は、気紛れ或る意味で気難しいのが“美質”と言えなくもない。19世紀末のパリ出身の作家アナトール・フランスは『神々は渇く』の中で書いている。「大革命で世の中が平等になるなんて言わないことさ。人間が平等になるなんてことはあり得ない。いつも大きな奴と小さな奴、肥った奴と痩せた奴がいるのさ」
同じ小説の中で、彼はこうも書いている。「煉獄と地獄がなかったら、神様なんか憐れなものさ」何という疑い深さ、何というシニカルな瀆神の悦び。そして、私の偏見と誤解でなければ、なんというパリ人的発想と表現だろうか。パリジャンの複雑で繊細な感受性が如何ようか窺える。「ふらんすへ行きたしと思へども、ふらんすはあまりに遠し」と謳ったのは萩原朔太郎だが、彼と同世代でも何人かの芸術家が渡仏し、帰国後世に出ているから、朔太郎はぼんやり“ふらんす”に憧れを抱いたに過ぎない。いつの時代にも、誰の心にも、ぼんやりした憧れの都フランス・パリがあるものだ。
Sous le ciel du Pari / Coule un Fleuve joyeux (パリの空の下 快いセーヌの流れ)とジュリエット・グレコも唄うが、セーヌ川にお祭り騒ぎは相応しくない。よく知られたアポリネールの『ミラボー橋』は静謐で或る種の無常観さえ漂うものがある。Sous le Pont Mirabeau coule la Seine / Et nos amour〔……〕 Vienne la nuit sonne l'heure / Les jours s'en vont je demeure (ミラボー橋の下をセーヌが流れる そして我らの愛も〔……〕夜が来て 時の鐘が鳴る 日々は去り 私は残る) 以前、金子由香利が情感をこめた日本語でこれを語ったが、何か少し違うような気がしたこともある。
ミラボー橋は、19世紀末に造られた鋼鉄を何層にも重ねた堅牢なアーチ式橋だが、橋には、先に一部引用したアボリネールの『ミラボー橋』の詩の最初の6行が刻まれた銘板が掲げられているという。「夜が来て 時の鐘が鳴る 日々は去り 私は残る」というリフレインは、画家マリー・ローランサンとの恋に破れた詩人の辛い溜息のようにも聴こえる。彼は、この橋の何処を彷徨ったのだろうか。後には、この橋からセーヌに身を投げた詩人もいたらしいが詳らかではない。パリ・オリンピックの多くのアスリートを乗せた賑やかな船舶が、この橋の下を潜ったかどうかは知らない。
令和6年 8月1日