『今徒然』 ~住職のひとこと~
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第50回 ~フェルメール礼讃~
2024-09-01
17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメールの『真珠の耳飾りを飾りをした少女』別名『青いターバンの少女』は、不思議な安らぎに満ちた作品である。恐らく、見るものの誰もが、この人物に同様な魅力を感じるに違いない。目を見開き、口元に微かな笑みを湛えるかのような少女の表情は、いつか何処かで出逢ったような親しみすら感じる。同時に背景の漆黒の闇が、清楚な少女の姿をひときわ印象づけ、次いで、ラピスラズリの至極の青で染め上げたトルコ風の青いターバンに惹きつけられる。だが、当時のオランダで、ターバンは、風俗としても服飾の流行としてもあり得ない。
青いターバンを巻いたエキゾチックな装いのこの少女は誰か。フェルメールの召使なのだろうか。なるほど着衣は質素に見えるが、大きな真珠の耳飾りがアンバランスで贅沢な輝きを添えている。謎めいた不思議な人物画である。美しい矛盾は、私たちの想像力を否応なく刺激するが、何一つとして解決しない。フェルメールに誘われ、私たちは解決不能な美と憧れの想像力のラビリンスに踏み入ったのかもしれない。実は、……彼女は何者でもない。これは、実在の人物を描いた肖像画ではない。当時、オランダで描かれた理想化された人物像(トローニー)であると云われている。
とすると、私たちは、実はフェルメールの美意識や憧れに翻弄されたのだろうか。例え、そうであっても、もはや与り知らぬこと。私たちは、彼の仕掛けたトリックで美しい謎の人物に出逢い、束の間の夢をみた。夢はどんな荒唐無稽も受け容れることが出来る。フェルメールの意図したところに近いところまで、私たちの感性が辿り着いたということかもしれない。オランダの同時代のバロック派の画家レンブラントなどに比べれば、作品も寡少で、やや地味な存在だが、フェルメールのこの“トローニー”は、写実を超えて理想の美を実現した奇跡的な人物画と言わねばならない。
とはいえ、フェルメールは優れた写実家でもある。当時の裕福な市民の厨房のありきたりな日常を描いた『牛乳を注ぐ女』の圧倒的存在感は立ち入る余地もない。『窓辺で手紙を読む女』は近年、背景に塗り潰されていたキューピッドの画中画が現れたことで話題を呼んだ。やはり謎の多い作品である。寝室でひとり手紙を読む女が、貞淑か不倫をしているかの議論はさておき。田園風景のなかに忽然と現れる『デルフトの眺望』も、市街の景観全体が神の恩寵に浴したような繊細な描写と色調で、当時、しばしばスペインの脅威にさらされたとは思えないほど安らかな佇まいである。
令和6年 9月1日