『今徒然』 ~住職のひとこと~
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第52回 ~山の上ホテル~
2024-11-01
オススメ
2024年2月12日東京お茶の水の山の上ホテルは、最終営業日を終え、翌13日事実上の閉館となった。別称ヒルトップ・ホテルには、嘗て川端康成、三島由紀夫、池波正太郎など昭和の文人が美食を求めて足を運んだ。駿河台の小高い丘の上にあるこの小さな古いホテルが愛されたのは、食事もさることながら、その閑静さである。JR中央線お茶の水駅にほど近い市街にありながら、ここだけは別世界のように、閑静で落ち着いた雰囲気に包まれている。どのホテルや旅館でも、終夜不眠を託つことが多い私でも、ここだけは昭和の古いホテルの佇まいに馴染んで、快く眠れた。
私は40代の頃からこのホテルに何度か宿泊した。いわば東京での定宿である。最近では、2023年5月半ばに二泊した。その度に、大学の同級生が何人か集まり、ホテルのレストランやお茶の水界隈の食事処で、交歓し痛飲した。またその度に、一人、二人と旧友の訃報にふれ、家族と離別して消息不明になる者もいた。人生は束の間の歓びと永続する絶望でできているのかもしれない。滅びゆくのは人だけではない。古い昭和のホテルも同様で、よく友人たちと歓談し会食したレストラン・バーがなくなり、いつか馴染みのワイン・カーブもなくなった。一つひとつ消えていった。
最も印象に残っているのが、《A bientôt》というビストロ・レストラン。フランス語で『また、近いうちに』という粋な名のついた深いブラウンの色調で統一されたクラシックな瀟洒 なレストランで、旧友と二人ムルソーの白とヴォーヌ・ロマネの赤を空けたことがある。それでも足りぬので、マッカランのロックとか、I.W.ハーパーの水割りを呑んで、強かに酔った足取りで、お茶の水の駅まで友人を送った。その時、改札口でにこやかに大きく手を振って別れた姿が、最後になった。翌年6月友人は不帰のひととなった。レストラン《A bientôt》は、それから暫くして姿を消した。
昨年宿泊したとき、朝食はすべてルーム・サービスで提供された。ホテルに投宿した際、一泊目は洋食、二泊目は和食をオーダーした。レセプションの女性が、洋食の卵料理は何にするか尋ねたので、私は迷わず「オムレツ」と答えた。ここのオムレツはふっくらとボリュームがあって格別だった。オムレツのプレートにはハムとソーセージも添えられ、他に新鮮な野菜とフルーツ、冷たいオレンジ・ジュース、パンとバター、温かいコーヒーを容れたケトルの傍らに清潔なナプキンが添えられていた。至福とは、こういうことだろうか。翌日の和食も充実していたことは言うまでもない。
※P.S. 深甚の感謝と敬意をこめて…«Au revoir»
令和6年 11月1日