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『今徒然』 ~住職のひとこと~

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第36回 ~亡き弟のこと~

2023-07-01
 「こうして、私は此の世でたったひとりになってしまった」(『孤独な散歩者の夢想』 ルソー)
 そんな慨嘆がいたんを漏らす境涯になろうとは、想いもしなかった。昨年11月、在所の弟が亡くなった。私は、文字通り《デラシネ》の身の上になった訳だ。あの山間やまあいの郷里で暮らした家族は、私を遺して皆亡くなった。実家によく出入りしていた従兄弟たちも既に物故した。年老いた従姉妹がいるが今は消息も途絶えがちだ。弟は、私より四歳年下だが、生来の不摂生が祟って、ここ一年ほど自宅療養していたが、露命俄かに盡きた。私に、言いたかった恨みつらみも無かったわけではなかろうに。

 私たちは、母方の祖母と同居していたが、祖母はやんちゃで活発な弟を"日本左ヱ門"と揶揄やゆした。日本左ヱ門は全国を荒らし回った盗賊の異名だから、この揶揄には、子どもには解らない毒がある。祖母は、三人姉妹の母親で、私の母は末娘で、私たち兄弟の他に長女にも二男二女の孫がいた。数人の孫の中で、祖母は長女の長男と私だけを偏愛した。次男らには冷淡で、従姉妹にいたってはいつも"蚊帳の外"の扱いであった。母も教育者であったが、長男の方に気を遣い、何かと弟をうとんじる傾向があったのは否めない。女系家族にありがちな愛憎の"綾"とでもいうのだろうか。

 両親が亡くなって以来、在所からあまり連絡もなくやや疎遠にしていた。弟の奥さんから、電話で自宅療養している弟の容体が悪く、主治医から会わせたい人連絡するように言われた旨の急な知らせがあったのは、11月の半ば頃だったろうか。翌日、私は郷里に向かった。病床の弟はもう口もきけず、瞼を上げる力がないほど衰弱していた。それでも、私を見ると身体を起こしてくれるように促したが、暫くするとまた眼を閉じてしまうのだった。私は思いつく限りのことを大声で話したが、どれだけ彼の耳に届いただろうか。弟の病床は清潔で、家族の行き届いた看護の跡がうかがわれた。

 帰り際、祖父母と両親が眠る先祖代々の墓と親族の墓前でひとしきり読経した。弟が亡くなったのは、その翌々日だった。在所の山寺の住職だった弟の葬儀は、質素にしめやかに行われた。葬儀式がおわって、棺に花をいれて「さよなら、ノブオ」と俗名で呼ぶと、声が震えたが、涙は出なかった。「兄ちゃん、兄ちゃん」と私の背中を追いかけてくる弟を"鬱陶うっとうしい"と思った幼少期の記憶が今一点の悔いのように蘇って来る。先日、甥から田舎蕎麦が届いた。茹で方が悪かったのか。硬くぼそぼそになった。噛みしめると、弟の人生の味わいがした。彼が何より好んだ発泡酒で献杯。


ひと色の紫陽花 転た寝のあとさき / 丈生

令和5年 7月1日
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