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光明寺略縁起 

戒珠山 光明寺

略縁起

戒珠山光明寺は、大橋智應上人により、昭和18年(1943年)に、東海地方で唯一の天台真盛宗寺院として創建されました。総本山は、滋賀県大津市坂本の戒光山西教寺で、当山は西教寺直轄の末寺にあたります。
 
もともとは、在家の寄進による弘法堂でしたが、その後は西教寺直轄の盛門教会所となりました。弘法堂の頃の名残は、現在も山門脇の『川崎弘法大師御分身』の碑として残っています。
 
昭和44年(1969年)第二世長谷川智貫師が普山、昭和57年(1982年)に当山開基第一世大橋智應老師が遷化されました。
 
昭和58年(1983年)から一年にわたり、本堂の全面改修が行われました。昭和60年(1985年)総本山西教寺一山御下向を請い、真盛法類をはじめ名古屋組天台寺院併せて七十余寺の随喜のもと、盛大な本堂落慶大法会が営まれました。
 
昭和62年(1987年)現住職澁谷良央が普山し、平成18年第二世長谷川智貫師が遷化されました。現在、住職及び副住職澁谷良祐が、名古屋市内外にわたり広汎な日常の法務に勤しんでいますが、大橋、長谷川両師の過去二代に亘る厳しい精進と弛まぬ布教が今日の光明寺の礎を築いたことは言うまでもありません。

光明幼児園

昭和28年(1953年)地域の懇望により児童福祉施設光明幼児園(保育園)を開設しました。昭和43年(1968年)、尊い浄財・私財を投じて、鉄筋コンクリート三階建ての園舎を建築。昭和53年(1978年)地域の保育ニーズに応じて乳児室を増築。平成25年(2013年)社会福祉法人光明寺福祉会を設立し、国と名古屋市の整備補助金を受けて、2年の歳月をかけて園舎を全面的に増改築しました。
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