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『今徒然』 ~住職のひとこと~

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第16回 ~『般若心経』の功徳~

2021-11-01
 『般若心経』は、仏典の中でも最も長編の『大般若経』全六百巻の心髄を二百六十六文字に集約抽出した"奇跡的"なお経です。正式には『魔訶般若波羅蜜多心経まかはんにゃはらみったしんぎょう』 という経題がありますが、これは、サンスクリットの原典の結びの一文を、漢訳者の何某かが、インスピレーションを得て、お経の冒頭に掲げたものとされています。「大いなる智慧を成就する心髄を説く経」というテーマは、巻末の真言≪羯諦羯諦 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩訶≫(ぎゃあてい ぎゃあてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか)に帰結しますが、実はその間“彼岸”に寄せては返す波に浮きつ沈みつただ翻弄されるかのようです。

 『般若心経』は、冒頭の経題から結びに至るまで、厳密な論理性で一貫していますが、「空」「無」「不」などの文字が"躍動"する経文のいたる処で、迷路に踏み入るような感覚に陥ることがあります。論理的≪アポリア≫=解決不可能とでもいいましょうか。キー・ワードは,やはり『色即是空 空即是色』(物質現象として在るものは実体のないものであり、実体のないものが物質現象である)というよく知られた対句形式の命題にあるようです。すべては色から空への、空から色への不断の往還おうかんのプロセスにあって、常に留まることなく、移ろい変化し続けるということです。

 してみれば、『是諸法空相ぜしょほうくうそう』森羅万象が実体がないのだから、生ずることもなく、滅することもなく、けがれず、きよからず、増減も無く、もとより『五蘊皆空ごうんかいくう』だから、人間の感受性・知覚・意志・判断も無い。また、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・意識も存在しない。従って、形あるもの・声・香・味・感触・観念も無く、視界も意識界も無い。迷いの根本たる無明むみょうも、その無明が尽きることもない。老死も無く、老死が無くなることも無い。四諦の苦・集・滅・道も無い。かくて、純粋な否定を経たニュートラルの境に、菩薩は大いなる悟りの智慧を成就し、『般若波羅蜜多』に依ることが出来る、云々。 

 宗派を問わず読誦される『般若心経』は、大般若や節分の祈禱会でよく誦まれます。玄奘三蔵が『注釈』に記すように「般若心経を受持し読誦するならば、解毒、治病、除災などの霊験がある」ようこいねがい、法楽太鼓ほうらくだいこに合せて唱えられる心経は、邪悪を打ち砕く『降伏一切大魔最勝成就』(ごうぶく
いっさいだいまさいしょうじょうじゅ)法力ほうりきを感じさせます。時に、『空』が、眼に見えぬ無尽蔵の質量や流転するものの無限のエネルギーに充ちているかに想えるのも、空の空たる所以でしょうか。因みに、玄奘は「この経を写経し、それを他に与えれば、功徳は大きく、何らかの霊験を得る」とも述べています。
 
 令和3年11月
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