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『今徒然』 ~住職のひとこと~

今徒然 記事 一覧

第31回 ~愛について~

2023-02-01
 フランスのシャンソン歌手エディット・ピアフの『愛の賛歌』は、1950年にリリースされ、今も世界中で親しまれる名曲ですが、彼女の独特の歌声は、曲のクライマックスにかけて、愛を渇望する魂そのものになって、烈しく儚く燃え尽きてしまうかのようです。ピアフ自身は、決して幸せとはいえない少女時代を過ごし、"歌姫"として開花した後も、愛には恵まれませんでした。愛を歌う彼女の傍らには影身に不幸が寄り添い、捧げるその両手からは、幸せがすり抜けていく。だから、『愛の賛歌』は哀しみに貫かれていて、その哀しみが人の心を打ちます。
 
 シェークスピアの『ロミオとジュリエット』は、『リア王』や『マクベス』などと同様、悲劇のジャンルに属しますが、これがどうしても悲劇に観えないのは何故でしょう。他と雰囲気が異なっているばかりか、むしろ喜劇のように、時に"笑劇ファルス"のようにも観えることがあります。恋愛悲劇に仕立て、恋の顛末を不運に導くために、多くの過ち、誤解、勘違いが仕掛けられて、恋人同士がまんまとこれに引っ掛かります。"恋は盲目"とはよく言ったものです。理性を失い、見え透いた罠にかかる恋人たちは不運だが、必ずしも不幸とばかりは言えないようです。

 大学の語学の教材だった『アドルフ』という"恋愛心理小説"が印象に残っています。伯爵の美しい愛人エレノールに出逢った主人公は、出来心から本気で彼女を愛してしまいます。恋の悩みや歓びや絶望など、恋愛の駆け引きを克明に描いた短編ですが、次の一節が今も記憶に残っています。Cet amour-propre était en tiers entre Ellénore et moi.「この自尊心が、第三者としてエレノールと私の間に介在していた。」要するに、恋愛の成就そのものより、自尊心と如何に上手く取引して折り合うかということです。恋愛心理の尋常ならざる複雑なところです。

 仏教で"渇愛かつあい"といえば、十二因縁の一つで、水を渇するように、激しくむさぼ執着しゅうじゃくすることで、苦の根源とされます。男女の愛も煩悩であり渇愛です。苦を断ち切るには、感情を喪失し木石の如く"心なき身"にならねばなりません。しかし、いたずら生死しょうじちまたをさ迷うものに、何処に心の捨て場所があるでしょうか。1960年代後半ベトナム戦争の最中、群衆の中を漂い行き場を失った若者の胸に響いたフオークロックがあります。──"if I never loved, I never would have cried. I am a rock  I am an island SimonGarfunkel 愛さなければ、泣くこともない。僕は岩 僕は島

令和5年 2月1日
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